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敷地探し 1 ~山暮らしを望むきかっけ~ [やまのいえ]

2009年から「やまのいえ」をつくるための敷地探しを始めた。
都会を脱出する第一目的は、「静寂」を求めることである。
現在は、マンション暮らしをしているが、隣人や上階の生活音がしないということが第一条件になる。
かつてマンション暮らしは、必要以上の近所づきあいがなく、扉を閉めるとそれぞれの居室がプライバシーのある個人的空間になるので都会生活者としては隣人とのしがらみが多そうな戸建て住宅よりさっぱりとした生活が望めると思っていた。

過去20数年住み替えながらマンション暮らしをしてきた。
賃貸マンションに住んでいたころでも、比較的築年数の古いマンションや、築10年以内の新しいマンションなど一般的な鉄筋コンクリート建築に住んできて、もちろん近隣の人と出会えば挨拶をするし多少の世間話もするが特に隣近所のしがらみも生活音などもお互いに問題になることはなく、鉄筋コンクリート造りのマンションとは、やはりしっかりとした造りでこういうものだと思ってきた。
現在のマンションを購入してからも10年程は同様に快適な生活をしてきた。
区分所有者になってからは、管理組合員としての義務があるが、大規模なマンションでもなく比較的良好でさっぱりとした距離感を保って生活をして来られた。

ところが、数年前上階の居住者が部屋を売却して、マンション専門のリフォーム会社が大規模な改装を行い、さらに居住者が変わってからこれまで考えてきた隣人の生活音というものに悩まされるようになった。
問題は複数あるが、第一に キッチンの位置が変わったこと、第二に、床がカーペット敷きからフローリングに変更になったこと、第三に、居住者の家族構成とその「意識」 とである。
第一のキッチンの位置は、いままではどの階も同じ位置であったのが、我が家のダイニングテーブルの真上がシンクやキッチントップの作業スペースになったのである。頭上でミートハンマーだの肉たたきだのでダダダダダダとやられる不愉快はとても耐え難い。食事の作業や後かたづけの音が多少することは、それこそお互い様であって辛抱できるのであるが、特に食事中などの頭上での低音は耐えられないものがある。第二に、フローリングであるが、最近フローリングでもふわふわして衝撃音に考慮したようなものがある。また、L35などの規格はスプーンを落とした場合などの軽量衝撃音であって、足音などの重量衝撃音は軽減できない。我が家の上階の場合、L35規格らしいがふわふわしたものではない硬いフローリング材に変更されたのである。
最も深刻なのが、第三の居住者の「意識」と家族構成であろうと思う。
マンションで小学生以下の幼い子供を持つ親は、当然のことながら階下に配慮した生活をしなければならない。
これは断言してよいと考えている。

常日頃、子供の友だちと親達をマンションの自室に招いて、おそらくは親同士が話に花を咲かせて子供らを放置しているのであろうか、子供らが走り回る嬌声が窓外から聞こえ、運動会状態の足音が夜9時頃までも響きまくるのである。
(我々の世代は、祖父母には日が暮れたら他人の家におじゃまをしていてはいけないと教育されたものである。)
受験生を持つ親として丁寧に「階下に配慮した生活を」と苦情を申し出たものの「神経使ってますよ!」という返答が帰ってくるのであった。このような足音による重低音は何よりも著しく人の神経を苛立たせるのである。
こうしたことが何回かあったのだが、要は騒音の苦情に対して逆切れされたのである。
深夜、故意に激しく足を床にぶつけるなどの逆切れ行為があって、上階の主人と口論から始まって話し合いもした。
しかしながら、相手の「意識」には先住者に対する謙虚な姿勢も、話し合うと言う本質的な概念がないため、表向きの格好だけで話し合いをしても「自分たちは普通の生活をしている」「私は一流会社の社員でそのような不作法をするはずはない」「妻は厳しくしつけられた人間であってどたばた走ることはない」などの文言を苦情の相手にとうとうと言葉を換えながら繰り返すのである。
話をする時の態度は、顔を上に向け胸を張り、先住者でありかつ年長者に説教をたれるようなものであった。
世代ごとの性格や行動パターンをステレオタイプ化して論ずることはしたくはないが、自分たちの楽しい生活のみを確保して「権利主張」「自己正当化」ばかりを主張する世代との大きなギャップを感じた。
もちろん各個人の個性があるので十把一絡げには決めつけることはできない。
この人間は、最後まで逆切れ現象を続けた。
要は、「苦情」は「いやがらせ」「生活妨害」であってフローリング床も自分達の行動もすべては「正しい」のである。子供の友達と親を呼びホームパーティーか何か知らないが、階下なぞお構いなく自分達の楽しいことをしたいだけしたいのであってその権利を妨害されたことを訴え出てきたわけだ。
「騒音源となっている人間に『裁判で訴える』と調停を申し立てられたことは聴いたことがない、何を裁判するのかわからない」 と相談をした弁護士も話していた。
こういう逆切れ正当化の輩が世の中にはいるのである。
きくところによると大手カメラ事務機械メーカーCの社員だそうだ。
この会社の製品はゼッタイに買うまいと心に決めた。

これが都会を脱出して静寂を求めるきっかけとなった事件なのである。

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