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敷地探し 2  ~古民家~ [やまのいえ]

青い空
白い雲
菜の花の小道を
かけまわり蝶々取り
遊んだふるさと

山崎ハコの”望郷”の歌詞だ。
私は都会生まれでふるさとはないが、この歌詞に代表されるような里、里山、田圃、あぜ道は私の原点である。
昭和30年代、小学校時代の夏休みは1ヶ月丸ごと親の田舎で、ばあさんと二人で生活することが唯一の楽しみであった。
小学校時代、私には友達と呼べる学友はいなかった。
別に寂しくとも何ともなかった。
本来、群れるのが嫌いなのだ。
野球など人の好む物にまったく興味はないし、トランプやゲームなどの遊び方も知らない。
今で言う引きこもり予備軍ではなかったかと思う。

さて、この昭和30年代、日本の田舎の自然は素晴らしかった。
田圃のあぜ道の小川には、透明なエビやドジョウ、メダカのような小魚、タニシ・・・そんな生き物がいっぱいだった。
コンクリートの水路なぞなく、田圃と田圃の間ではちょろちょろと小川のせせらぎが響いていた。
1日中飽きることもなく田圃の周りや、用水池の土手で遊んでいた。
風呂は、五右衛門風呂、薪で焚き、丸い板を踏んで入る。
毎晩、風呂の電灯めがけてカブトムシが飛んでくる。
夜は、雨戸を閉めるが蚊帳の中で寝る。
朝起きれば、畳はウンカや蛾の死骸でいっぱい。
洗面は、裏の井戸に行きバケツを投げて水をくみ顔を洗う。
都会人でありながら、これが私の原点である。
自然に囲まれひとりでいることの喜びをいまも忘れられない。

このようなバックグラウンドを持つ私は、まず居住地を長野と決めた。
それは、八ヶ岳があるからである。アルプスも近い、甲斐駒も浅間山も近い。
まずインターネットで信州関連の田舎暮らし業者サイトを訪ねて古民家を探し始めた。
写真は、茅野市鏡野の養蚕農家、背後の山までが敷地である。
優に500坪はあると思う。
所有権のある敷地ばかりでもなく、利用権利があると言うところもあった。
蔵があったり、古いが車庫まである古民家もあった。
そうしたところを、5~6物件見て回った。

しかし、それ程長くかからないうちに問題を発見した。
1.近隣との関係
 敷地は広く家が大きくとも、集落であるので他の家と隣接していること。
 集落の共同体の一員となってしまうこと。
 =行事などに呼び出される可能性もあり、ひとりで勝手気ままな暮らしが出来ないこと
2.相当な手入れが必要なこと
 柱は太く、家の造りもしっかりしていて、魅力的な蔵もあるが、屋根裏や2階は土ホコリだらけで
 断熱も十分ではなく相当に手を入れなければならない。
3.出て行ってしまったか亡くなられた人の衣服や生活の痕跡がべったり残っていること

このうち1と2は決定的で、前者は、まかり間違えば村八分にあう性格であるし、後者は若ければ大工仕事も自分で苦にならないが、とうに50を過ぎた人間には、古民家改造は手間と費用がかかりすぎ、これは大変だぞ。
古い家には魅力があるが、老後の生活をするなら都会人には古民家は向かない、ちゃんとした水洗トイレに断熱された家、きっぱりと断ち切れる人間関係が必要だと思った。
それに土地付き古民家は、結構な値段なのである。

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