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リスを呼ぶ [やまのいえ]

やまのいえで、何度かリスを見ている。
雪の中、デッキの前を横切っていったし、周辺の車道を渡って木から木へ登ったり降りたり
しているの見る。たくさんいるのだけれどそれほど頻繁に見るわけじゃない。

前からリスを呼ぼうと思って写真のようなSquirrel Feeder を買ってたんだけど、滞在する期間が
短くて置きっぱなしにするのが気になって設置してなかった。

今回、冬でもあるし雨で餌がふやけることも、腐ることもないだろうと思って、思い切って設置した。
これは、Amazon.comで、ミックス餌と同時にUSから取り寄せたもの。デッキに設置。
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これは、諏訪のJマートでみつけたオランダデザインのEU製。
こっちは敷地内のカラマツに設置。
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餌をまいてリスを誘導。
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気がついて来てくれるといいんだけどなあ。コーンやヒマワリの種の混じったおいしい餌があるよ!

Jマートではバードフィーダも売っていたのでこれも白樺にぶら下げ、風が吹いても揺れないように
ひもでしばった。これはオランダデザインで、中国製。ちょっとプラスチックしているけど、安いから、ま、いいか。
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鳥さんも、リスさんも来てくださいね。
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敷地探し 2  ~古民家~ [やまのいえ]

青い空
白い雲
菜の花の小道を
かけまわり蝶々取り
遊んだふるさと

山崎ハコの”望郷”の歌詞だ。
私は都会生まれでふるさとはないが、この歌詞に代表されるような里、里山、田圃、あぜ道は私の原点である。
昭和30年代、小学校時代の夏休みは1ヶ月丸ごと親の田舎で、ばあさんと二人で生活することが唯一の楽しみであった。
小学校時代、私には友達と呼べる学友はいなかった。
別に寂しくとも何ともなかった。
本来、群れるのが嫌いなのだ。
野球など人の好む物にまったく興味はないし、トランプやゲームなどの遊び方も知らない。
今で言う引きこもり予備軍ではなかったかと思う。

さて、この昭和30年代、日本の田舎の自然は素晴らしかった。
田圃のあぜ道の小川には、透明なエビやドジョウ、メダカのような小魚、タニシ・・・そんな生き物がいっぱいだった。
コンクリートの水路なぞなく、田圃と田圃の間ではちょろちょろと小川のせせらぎが響いていた。
1日中飽きることもなく田圃の周りや、用水池の土手で遊んでいた。
風呂は、五右衛門風呂、薪で焚き、丸い板を踏んで入る。
毎晩、風呂の電灯めがけてカブトムシが飛んでくる。
夜は、雨戸を閉めるが蚊帳の中で寝る。
朝起きれば、畳はウンカや蛾の死骸でいっぱい。
洗面は、裏の井戸に行きバケツを投げて水をくみ顔を洗う。
都会人でありながら、これが私の原点である。
自然に囲まれひとりでいることの喜びをいまも忘れられない。

このようなバックグラウンドを持つ私は、まず居住地を長野と決めた。
それは、八ヶ岳があるからである。アルプスも近い、甲斐駒も浅間山も近い。
まずインターネットで信州関連の田舎暮らし業者サイトを訪ねて古民家を探し始めた。
写真は、茅野市鏡野の養蚕農家、背後の山までが敷地である。
優に500坪はあると思う。
所有権のある敷地ばかりでもなく、利用権利があると言うところもあった。
蔵があったり、古いが車庫まである古民家もあった。
そうしたところを、5~6物件見て回った。

しかし、それ程長くかからないうちに問題を発見した。
1.近隣との関係
 敷地は広く家が大きくとも、集落であるので他の家と隣接していること。
 集落の共同体の一員となってしまうこと。
 =行事などに呼び出される可能性もあり、ひとりで勝手気ままな暮らしが出来ないこと
2.相当な手入れが必要なこと
 柱は太く、家の造りもしっかりしていて、魅力的な蔵もあるが、屋根裏や2階は土ホコリだらけで
 断熱も十分ではなく相当に手を入れなければならない。
3.出て行ってしまったか亡くなられた人の衣服や生活の痕跡がべったり残っていること

このうち1と2は決定的で、前者は、まかり間違えば村八分にあう性格であるし、後者は若ければ大工仕事も自分で苦にならないが、とうに50を過ぎた人間には、古民家改造は手間と費用がかかりすぎ、これは大変だぞ。
古い家には魅力があるが、老後の生活をするなら都会人には古民家は向かない、ちゃんとした水洗トイレに断熱された家、きっぱりと断ち切れる人間関係が必要だと思った。
それに土地付き古民家は、結構な値段なのである。

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敷地探し 1 ~山暮らしを望むきかっけ~ [やまのいえ]

2009年から「やまのいえ」をつくるための敷地探しを始めた。
都会を脱出する第一目的は、「静寂」を求めることである。
現在は、マンション暮らしをしているが、隣人や上階の生活音がしないということが第一条件になる。
かつてマンション暮らしは、必要以上の近所づきあいがなく、扉を閉めるとそれぞれの居室がプライバシーのある個人的空間になるので都会生活者としては隣人とのしがらみが多そうな戸建て住宅よりさっぱりとした生活が望めると思っていた。

過去20数年住み替えながらマンション暮らしをしてきた。
賃貸マンションに住んでいたころでも、比較的築年数の古いマンションや、築10年以内の新しいマンションなど一般的な鉄筋コンクリート建築に住んできて、もちろん近隣の人と出会えば挨拶をするし多少の世間話もするが特に隣近所のしがらみも生活音などもお互いに問題になることはなく、鉄筋コンクリート造りのマンションとは、やはりしっかりとした造りでこういうものだと思ってきた。
現在のマンションを購入してからも10年程は同様に快適な生活をしてきた。
区分所有者になってからは、管理組合員としての義務があるが、大規模なマンションでもなく比較的良好でさっぱりとした距離感を保って生活をして来られた。

ところが、数年前上階の居住者が部屋を売却して、マンション専門のリフォーム会社が大規模な改装を行い、さらに居住者が変わってからこれまで考えてきた隣人の生活音というものに悩まされるようになった。
問題は複数あるが、第一に キッチンの位置が変わったこと、第二に、床がカーペット敷きからフローリングに変更になったこと、第三に、居住者の家族構成とその「意識」 とである。
第一のキッチンの位置は、いままではどの階も同じ位置であったのが、我が家のダイニングテーブルの真上がシンクやキッチントップの作業スペースになったのである。頭上でミートハンマーだの肉たたきだのでダダダダダダとやられる不愉快はとても耐え難い。食事の作業や後かたづけの音が多少することは、それこそお互い様であって辛抱できるのであるが、特に食事中などの頭上での低音は耐えられないものがある。第二に、フローリングであるが、最近フローリングでもふわふわして衝撃音に考慮したようなものがある。また、L35などの規格はスプーンを落とした場合などの軽量衝撃音であって、足音などの重量衝撃音は軽減できない。我が家の上階の場合、L35規格らしいがふわふわしたものではない硬いフローリング材に変更されたのである。
最も深刻なのが、第三の居住者の「意識」と家族構成であろうと思う。
マンションで小学生以下の幼い子供を持つ親は、当然のことながら階下に配慮した生活をしなければならない。
これは断言してよいと考えている。

常日頃、子供の友だちと親達をマンションの自室に招いて、おそらくは親同士が話に花を咲かせて子供らを放置しているのであろうか、子供らが走り回る嬌声が窓外から聞こえ、運動会状態の足音が夜9時頃までも響きまくるのである。
(我々の世代は、祖父母には日が暮れたら他人の家におじゃまをしていてはいけないと教育されたものである。)
受験生を持つ親として丁寧に「階下に配慮した生活を」と苦情を申し出たものの「神経使ってますよ!」という返答が帰ってくるのであった。このような足音による重低音は何よりも著しく人の神経を苛立たせるのである。
こうしたことが何回かあったのだが、要は騒音の苦情に対して逆切れされたのである。
深夜、故意に激しく足を床にぶつけるなどの逆切れ行為があって、上階の主人と口論から始まって話し合いもした。
しかしながら、相手の「意識」には先住者に対する謙虚な姿勢も、話し合うと言う本質的な概念がないため、表向きの格好だけで話し合いをしても「自分たちは普通の生活をしている」「私は一流会社の社員でそのような不作法をするはずはない」「妻は厳しくしつけられた人間であってどたばた走ることはない」などの文言を苦情の相手にとうとうと言葉を換えながら繰り返すのである。
話をする時の態度は、顔を上に向け胸を張り、先住者でありかつ年長者に説教をたれるようなものであった。
世代ごとの性格や行動パターンをステレオタイプ化して論ずることはしたくはないが、自分たちの楽しい生活のみを確保して「権利主張」「自己正当化」ばかりを主張する世代との大きなギャップを感じた。
もちろん各個人の個性があるので十把一絡げには決めつけることはできない。
この人間は、最後まで逆切れ現象を続けた。
要は、「苦情」は「いやがらせ」「生活妨害」であってフローリング床も自分達の行動もすべては「正しい」のである。子供の友達と親を呼びホームパーティーか何か知らないが、階下なぞお構いなく自分達の楽しいことをしたいだけしたいのであってその権利を妨害されたことを訴え出てきたわけだ。
「騒音源となっている人間に『裁判で訴える』と調停を申し立てられたことは聴いたことがない、何を裁判するのかわからない」 と相談をした弁護士も話していた。
こういう逆切れ正当化の輩が世の中にはいるのである。
きくところによると大手カメラ事務機械メーカーCの社員だそうだ。
この会社の製品はゼッタイに買うまいと心に決めた。

これが都会を脱出して静寂を求めるきっかけとなった事件なのである。

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