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静けさの対極 [静けさ]

1週間ほど中国にいた.
これほど「かまびすしい」というか,静けさの対極にある国はないと思う.
 声がでかい,
 ところかまわず携帯電話で大声,
 乗り物でもマナーモードなんかしないし,
 列には割り込む,
 信号は守らない,
 車はセンターラインも守らない,
 やたら追い越しを掛ける
 やたらクラクションビービ-ビービー鳴らす
 飛行機が着陸したと思いきや頭上の荷物扉を開けて乗務員に怒られている,
 床はゴミ箱,
 街もゴミ箱,
 痰を吐く=吐くなよ!
等々・・・ 
つまるところ落ち着きがない.
日本人もヨーロッパ人に比べるといいかげん落ち着きがなくせわしなくマナーがない
国民だなと思ってはいたが上はいるものである.
経済成長の真っ最中にある中国は
 「日本の5倍のスピードで追いついている,技術開発している」というがこれはウソだ.
人数が多いだけだ.
 朝はあまり早くから働かないし(ヨーロッパ人は朝早いぞ!朝5時にはドイツ人は動き出しているぞ),
 昼休みは2時間ぐらいあるし,
 5時になったらとっとと帰るし,
 夜中まで露天の店で遊びほうけているし,
 春節祭は,2-3週間休むらしいし,
 転職は当たり前らしいし,
 出張もポロシャツでOKやんけ!
 接待は作業服やんけ!
結構楽しんでるやないか!自由やんか!?
 (政治的には色々あるそうですが・・)
ひょっとしたら一番貧乏くじを引いて,がんじがらまっているのはどこぞの島国だけかな?

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未完のフーガの後の静寂は? [静けさ]

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その日のプログラムは完璧であった.
前半のひと組は,バッハ晩年の作品「音楽の捧げもの」BWV1079から重厚な6声のリチェルカーレに連続してバッハ若き日の作品パルティータ「喜び迎えん,慈しみ深きイエスよ」BWV768を配した.同じく前半のもうひと組は鏡のような構成で,同じくバッハ晩年の「フーガの技法」から未完の四重フーガBWV1080-19に,失明したバッハが友人に口述筆記させた,いわばほんとうの絶筆であるコラール「汝の御座の前にわれはいま進み出で」BWV668を配した.
いうまでもなく未完のフーガの最後の音符のあとに続く深遠で崇高な静寂を感じたのち,オマージュとでもいうべき穏やかなコラールでバッハの終焉に思いをはせようとの意図であろう.国立音大の礒山先生によっても親切に事前に同様な解説がなされていた.
しかし,フーガの技法の終音の直後にたったひとり拍手をしたバカがいたのである.
演奏者への間をおかない拍手による賛辞は,この日最後のプログラムであるパッサカリア ハ短調BWV582で用意されていたにもかかわらず.

いまはなき盲目のオルガニスト,ヘルムート・ヴァルヒャの演奏を推奨します.



クヴァンツの無伴奏小品集 [静けさ]

あたりのCDである.
とても静かな録音.
クヴァンツの無伴奏小品を納めたCDであるが,小品の1曲1曲が珠玉のように美しく静かである.
バスリコーダーは,穏やかな人の声のように優しく品がある.
パイプオルガンの音にも似て,暖かい.
バッハの無伴奏フルートソナタの原型のような感じである.
詳しくは知らないが,バッハもクヴァンツの演奏を聴いたであろう.
クヴァンツはフリードリヒ大王のフルート教師であったから.

牧丘町民文化ホールで録音されたらしいが,ヨーロッパの教会のように響きが美しい.
心和む1枚,お薦めである.

Fantasier og Capricier af Quanz クヴァンツの無伴奏小品集
花岡和生(東京芸術大学古楽器科講師)
花岡さんは,リコーダ教本も多く書いているし,伴奏付CDも多く出しておられます.



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ストーカー/タルコフスキー [静けさ]

久しぶりにタルコフスキーのストーカーを見た.
静かな映画だ.
音楽らしきものは,終り近くの魚に汚水が流れてくるシーンで流れるボレロだけ.
ストーカーが,軌道車でゾーンに到着したとき,「この静けさ」「ここが一番ですよ」
という言葉が印象的だ.

山に入る,雪の山に入る.
この静けさ ここが一番 と思う.凛とした空気に癒される.
ストーカーのように深い絶望から「無」の癒しへ.
無とは,静けさとは俗世間からの逃避か,真の休息への希求なのか.
(イラストは,八ヶ岳しらびそ小屋 http://www.ytg.janis.or.jp/~st.imai/ から借用)
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der Prolog [静けさ]

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バッハ アルヴォ・ペルト キース・ジャレット ,アンドレイ・タルコフスキー ヴィクトル・エリセ 彼らの音楽,映像に共通する言葉は「静謐」だと思う.東ベルリン ライプチヒ ケーテン アイゼナハ バッハの足跡をたどった旧体制の街には強いられた静寂があった 列車が国境を越え東の兵士達が姿を消すと人々は堰をきったようにおしゃべりを始めるのだった.1989年夏 旧西ドイツ国境の街パッサウは東からの脱出者たちで溢れていた.強いられた静寂から資本主義の喧噪を求めたのだろうか.やまのいえに逃避しようとしている僕は,成果主義に押しつぶされた敗北者?そうかもしれない.ペルトのミニマルな音楽をレキソタンなしで聴けるところは,タルコフスキーの描くゾーンか エリセのかもめの家か・・・・ はたして僕はやまのいえをつくる.



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