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続 JR西日本の体質? - 尼崎事故の前兆はあった - [鉄]

実は、私は2005年の尼崎事故を予言していた。

あの事故の起こる前、1990年頃からJRWは、阪神間を並行して走る阪神電車、阪急電車への競争力をつけるため、「アーバンネットワーク」と称して列車の高速化に必死であった。
1997年3月の東西線の開通にあわせて尼崎駅を大改造し、東西線京阪奈方面からの宝塚方面行き電車と東海道線の下り西明石方面行き各駅停車と東海道線下り新快速電車、快速電車などを神業のようなダイヤでぴたりと接続した。
線路が2本しかない私鉄2社には到底太刀打ちできないことである。
阪神間から京都へ通勤していた私はこのダイヤに驚愕したものであった。
しかし、この過密ダイヤでは尼崎駅でポイント切り替えミスや信号故障できっと大きな列車事故を起こすに違いないと家族に予言した。
さらに、JRWは、2000年9月から新快速の130km/h運転を実施し、大阪=三ノ宮間19分を実現した。
(現在は、20分になっている) 
この頃から、高速化と過密ダイヤを守るため車掌は必死になり、いつからかは正確に覚えていないが「ドアが閉まります」というアナウンスを「ドアを閉めます」とまで変えて、乗客に乗車を急かせるようになった。
車掌は早く乗車を終わらせるため警笛を激しく吹きまくった。
最後尾で乗車するときには耳が痛いほど笛を吹かれた記憶が何度も残っている。
車掌は定時運行に必死だったのだ。(なお現在は車掌のアナウンスは「ドアが閉まります」に戻っている)

その後、2002年11月6日、尼崎駅近く(正確には加島駅付近)付近で人身事故があり、線路内で救助に携わった救急隊員が特急「スーパーはくと11号」にはねられて死亡するという2重事故が起きた。
詳細は、http://www.geocities.jp/straphangerseye/transport/araic/amarescue.html に詳しく記載されている。
私は、駅員や運転指令が、事故処理状況を間接的にしか確認せず「スーパーはくと」を走らせた背景には、列車を早く復旧させたいという思いがあったのではないか、と考えている。
安全第一、顧客第一であるべき鉄道会社が、安全軽視でスピード優先・利益優先に走ったたのである。
私は、この救急隊員人身事故が尼崎転覆脱線事故の前兆事故であったと考えている。

「安全は輸送業務の最大の使命」※ なのだ。
 ※運輸省令第55号 「運転の安全の確保に関する省令」 による国鉄総裁達 「安全綱領」 から。

↓ JRWホームページから無断借用 え、2005年に定めたの???
JRW安全憲章.JPG



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JR西日本の体質? [鉄]

東海道線上り新快速(米原方面行き)に乗っていた。
中距離の出張である。
時間帯が9時をとうに過ぎていたので、高槻あたりからは閑散として1両に20人も乗っていない。
出張の移動でのこうした自由な時間が好きだ。
音楽を聴きながらうとうと眠っていた。最後尾の席だ。
すると、京都駅で突然、「シンゴーヨシ!」「ジッキヨシ」という大声でびっくりして目を覚まされてしまった。
うーむ、車掌が変わったな、と見ると、どうも新人車掌の研修のようだ。しかしながら、軍隊や応援団ではあるまいし必要以上に大声である。張り切っているのか、そう指示されているのかわからないが、あんな大声はある種の脅威を感ずるし、乗客には迷惑になるのではないだろうか?
かつて、新人研修と称して街角や駅前で大声を上げて不特定多数の人に自己紹介をさせるような企業があった。この新人車掌に対してできる限りの大声を張り上げるようJRが指導教育しているとするならば、「日勤教育」と称して連日にわたって反省文を書き続けさせたり草むしりをさせたりしたという精神論的体質がまだまだ残っているとしか言いようがない。あの尼崎の転覆脱線事故の直接原因は、日勤教育への恐れからプレッシャーを感じた運転士の速度超過によるもの(同志社大 山口栄一教授の言葉を借りれば「速度超過の可能性を予見せずATSを設置していなかったJR西日本の技術経営ミス」)と私は考えているが、このような精神論的体質が残っているならば、同様の事故はまだ起こる可能性がある。

↓JR西日本のHPから無断使用 ; あんたら本気か?
JRW.JPG



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敷地探し 2  ~古民家~ [やまのいえ]

青い空
白い雲
菜の花の小道を
かけまわり蝶々取り
遊んだふるさと

山崎ハコの”望郷”の歌詞だ。
私は都会生まれでふるさとはないが、この歌詞に代表されるような里、里山、田圃、あぜ道は私の原点である。
昭和30年代、小学校時代の夏休みは1ヶ月丸ごと親の田舎で、ばあさんと二人で生活することが唯一の楽しみであった。
小学校時代、私には友達と呼べる学友はいなかった。
別に寂しくとも何ともなかった。
本来、群れるのが嫌いなのだ。
野球など人の好む物にまったく興味はないし、トランプやゲームなどの遊び方も知らない。
今で言う引きこもり予備軍ではなかったかと思う。

さて、この昭和30年代、日本の田舎の自然は素晴らしかった。
田圃のあぜ道の小川には、透明なエビやドジョウ、メダカのような小魚、タニシ・・・そんな生き物がいっぱいだった。
コンクリートの水路なぞなく、田圃と田圃の間ではちょろちょろと小川のせせらぎが響いていた。
1日中飽きることもなく田圃の周りや、用水池の土手で遊んでいた。
風呂は、五右衛門風呂、薪で焚き、丸い板を踏んで入る。
毎晩、風呂の電灯めがけてカブトムシが飛んでくる。
夜は、雨戸を閉めるが蚊帳の中で寝る。
朝起きれば、畳はウンカや蛾の死骸でいっぱい。
洗面は、裏の井戸に行きバケツを投げて水をくみ顔を洗う。
都会人でありながら、これが私の原点である。
自然に囲まれひとりでいることの喜びをいまも忘れられない。

このようなバックグラウンドを持つ私は、まず居住地を長野と決めた。
それは、八ヶ岳があるからである。アルプスも近い、甲斐駒も浅間山も近い。
まずインターネットで信州関連の田舎暮らし業者サイトを訪ねて古民家を探し始めた。
写真は、茅野市鏡野の養蚕農家、背後の山までが敷地である。
優に500坪はあると思う。
所有権のある敷地ばかりでもなく、利用権利があると言うところもあった。
蔵があったり、古いが車庫まである古民家もあった。
そうしたところを、5~6物件見て回った。

しかし、それ程長くかからないうちに問題を発見した。
1.近隣との関係
 敷地は広く家が大きくとも、集落であるので他の家と隣接していること。
 集落の共同体の一員となってしまうこと。
 =行事などに呼び出される可能性もあり、ひとりで勝手気ままな暮らしが出来ないこと
2.相当な手入れが必要なこと
 柱は太く、家の造りもしっかりしていて、魅力的な蔵もあるが、屋根裏や2階は土ホコリだらけで
 断熱も十分ではなく相当に手を入れなければならない。
3.出て行ってしまったか亡くなられた人の衣服や生活の痕跡がべったり残っていること

このうち1と2は決定的で、前者は、まかり間違えば村八分にあう性格であるし、後者は若ければ大工仕事も自分で苦にならないが、とうに50を過ぎた人間には、古民家改造は手間と費用がかかりすぎ、これは大変だぞ。
古い家には魅力があるが、老後の生活をするなら都会人には古民家は向かない、ちゃんとした水洗トイレに断熱された家、きっぱりと断ち切れる人間関係が必要だと思った。
それに土地付き古民家は、結構な値段なのである。

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敷地探し 1 ~山暮らしを望むきかっけ~ [やまのいえ]

2009年から「やまのいえ」をつくるための敷地探しを始めた。
都会を脱出する第一目的は、「静寂」を求めることである。
現在は、マンション暮らしをしているが、隣人や上階の生活音がしないということが第一条件になる。
かつてマンション暮らしは、必要以上の近所づきあいがなく、扉を閉めるとそれぞれの居室がプライバシーのある個人的空間になるので都会生活者としては隣人とのしがらみが多そうな戸建て住宅よりさっぱりとした生活が望めると思っていた。

過去20数年住み替えながらマンション暮らしをしてきた。
賃貸マンションに住んでいたころでも、比較的築年数の古いマンションや、築10年以内の新しいマンションなど一般的な鉄筋コンクリート建築に住んできて、もちろん近隣の人と出会えば挨拶をするし多少の世間話もするが特に隣近所のしがらみも生活音などもお互いに問題になることはなく、鉄筋コンクリート造りのマンションとは、やはりしっかりとした造りでこういうものだと思ってきた。
現在のマンションを購入してからも10年程は同様に快適な生活をしてきた。
区分所有者になってからは、管理組合員としての義務があるが、大規模なマンションでもなく比較的良好でさっぱりとした距離感を保って生活をして来られた。

ところが、数年前上階の居住者が部屋を売却して、マンション専門のリフォーム会社が大規模な改装を行い、さらに居住者が変わってからこれまで考えてきた隣人の生活音というものに悩まされるようになった。
問題は複数あるが、第一に キッチンの位置が変わったこと、第二に、床がカーペット敷きからフローリングに変更になったこと、第三に、居住者の家族構成とその「意識」 とである。
第一のキッチンの位置は、いままではどの階も同じ位置であったのが、我が家のダイニングテーブルの真上がシンクやキッチントップの作業スペースになったのである。頭上でミートハンマーだの肉たたきだのでダダダダダダとやられる不愉快はとても耐え難い。食事の作業や後かたづけの音が多少することは、それこそお互い様であって辛抱できるのであるが、特に食事中などの頭上での低音は耐えられないものがある。第二に、フローリングであるが、最近フローリングでもふわふわして衝撃音に考慮したようなものがある。また、L35などの規格はスプーンを落とした場合などの軽量衝撃音であって、足音などの重量衝撃音は軽減できない。我が家の上階の場合、L35規格らしいがふわふわしたものではない硬いフローリング材に変更されたのである。
最も深刻なのが、第三の居住者の「意識」と家族構成であろうと思う。
マンションで小学生以下の幼い子供を持つ親は、当然のことながら階下に配慮した生活をしなければならない。
これは断言してよいと考えている。

常日頃、子供の友だちと親達をマンションの自室に招いて、おそらくは親同士が話に花を咲かせて子供らを放置しているのであろうか、子供らが走り回る嬌声が窓外から聞こえ、運動会状態の足音が夜9時頃までも響きまくるのである。
(我々の世代は、祖父母には日が暮れたら他人の家におじゃまをしていてはいけないと教育されたものである。)
受験生を持つ親として丁寧に「階下に配慮した生活を」と苦情を申し出たものの「神経使ってますよ!」という返答が帰ってくるのであった。このような足音による重低音は何よりも著しく人の神経を苛立たせるのである。
こうしたことが何回かあったのだが、要は騒音の苦情に対して逆切れされたのである。
深夜、故意に激しく足を床にぶつけるなどの逆切れ行為があって、上階の主人と口論から始まって話し合いもした。
しかしながら、相手の「意識」には先住者に対する謙虚な姿勢も、話し合うと言う本質的な概念がないため、表向きの格好だけで話し合いをしても「自分たちは普通の生活をしている」「私は一流会社の社員でそのような不作法をするはずはない」「妻は厳しくしつけられた人間であってどたばた走ることはない」などの文言を苦情の相手にとうとうと言葉を換えながら繰り返すのである。
話をする時の態度は、顔を上に向け胸を張り、先住者でありかつ年長者に説教をたれるようなものであった。
世代ごとの性格や行動パターンをステレオタイプ化して論ずることはしたくはないが、自分たちの楽しい生活のみを確保して「権利主張」「自己正当化」ばかりを主張する世代との大きなギャップを感じた。
もちろん各個人の個性があるので十把一絡げには決めつけることはできない。
この人間は、最後まで逆切れ現象を続けた。
要は、「苦情」は「いやがらせ」「生活妨害」であってフローリング床も自分達の行動もすべては「正しい」のである。子供の友達と親を呼びホームパーティーか何か知らないが、階下なぞお構いなく自分達の楽しいことをしたいだけしたいのであってその権利を妨害されたことを訴え出てきたわけだ。
「騒音源となっている人間に『裁判で訴える』と調停を申し立てられたことは聴いたことがない、何を裁判するのかわからない」 と相談をした弁護士も話していた。
こういう逆切れ正当化の輩が世の中にはいるのである。
きくところによると大手カメラ事務機械メーカーCの社員だそうだ。
この会社の製品はゼッタイに買うまいと心に決めた。

これが都会を脱出して静寂を求めるきっかけとなった事件なのである。

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続・思い上がるNHK [きらいなもの]

http://homepage2.nifty.com/qden/etc/news7.html

↑やはり気がついている方はいるのです。

引用ここから『例えば「紅白」「大河ドラマ」などの「番宣ニュース」がある場合、普通のニュースが削られて
「おまけニュース」の所に6分ほどの時間を割いて入れられる。
さすがにこういう日は、「たった30分のニュース番組に、その5分の1を宣伝の時間に充てるなんて
何考えてるんだ!! ちゃんとニュースを見せろ!!」と言いたくなる。』
ここまで

2011/10/13 付けニュースから
http://www.asahi.com/national/update/1013/TKY201110130460.html

個人を訴訟するのはみせしめだな、ここまでゼニとりたいか。
だったらちゃんとせえよな。
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ミニバン [きらいなもの]

ミニバンが大嫌いだ。
その理由は、
- やたらくそでかい、じゃま
 映画館とかコンサートの席とか高速バスの座席なんかで、やたら座高が高くてめちゃくちゃ頭のでかい男
とかに前に座られることがありますよね。息詰まりそうになります。
 ミニバンはこれとおんなじ。
- 右車線を走り続けるんじゃねえよ
 「大切な大切な家族」と団らんしているのかなんか知らないけど、走行車線が空いているのに右車線を
くそでかい面(ツラ)して走り続ける輩が多い。
- 家族団らんを道路にまで持ち出している気がする
 べつにいいんだけどさ、自由だから。
- そんなに広い車がほしけりゃバスを買えよ
 さっきの頭のでかい男みたいに、普通車の限界ぎりぎり、これでもかというほど肩肘張ってでかい
特に、TOYOTA ヴェルファイヤ、アルファード、NISSAN エルグランド。
 おまーらな、自宅に車輪でもつけろよ。
 なぜかハイエースはちょっと許せる。外観が謙虚であるのだ。
業務用っぽいから、お仕事大変ね って気持ちになるね。 
とにかくミニバン、ミニバン乗るやつ きらーい。
ちなみに私はというと、ドイツ製ステーションワゴンであります。


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驕り、思い上がるNHK [きらいなもの]

先日、NHK-FMを聴いていた。
「プログレッシブロック三昧」 1曲目が原子心母であったこととP.F.M.を流したことは評価できるが、
実に底が浅い番組であった。下手なコーナーばかりでプログレファンだとか言う森田美由紀が、”PMF”をくり返すなど笑止であった。
視聴者を気にせずとも受信料がっぽり湯水のように使えるお得意のダラダラ番組である。
まあ、それはよしとして、途中のニュース。

「・・・NHKのど自慢の収録が、**県**市で・・・・」

おいおい、ちょっとまてよ、ニュースやろが。
どこに自分の番組のことをニュースでを流す放送局があるのか!
またやりやがったな。

例年、年末になるとやりやがるのよね。ニュースで。
「第**回紅白歌合戦の・・・・」 ってさ。

私は、このニュースでの自己番組宣伝時間を計ったこともあるが、15分のニュースで3分以上を割いていたことがあった。
なんとまあ、驕ったことよのう。

『紅白歌合戦やNHKのど自慢は、”国民的番組”で誰もが好きで見ている』
と思い上がっているのでしょうね。

おまけ:君ら受信料うんぬんかんぬんでなく、税金からもらいなよ。(納税者としては出したかあないけどさ)
そしたら、みんな、NHKはお国の手先なのねってハッキリするからね。

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静けさの対極 [静けさ]

1週間ほど中国にいた.
これほど「かまびすしい」というか,静けさの対極にある国はないと思う.
 声がでかい,
 ところかまわず携帯電話で大声,
 乗り物でもマナーモードなんかしないし,
 列には割り込む,
 信号は守らない,
 車はセンターラインも守らない,
 やたら追い越しを掛ける
 やたらクラクションビービ-ビービー鳴らす
 飛行機が着陸したと思いきや頭上の荷物扉を開けて乗務員に怒られている,
 床はゴミ箱,
 街もゴミ箱,
 痰を吐く=吐くなよ!
等々・・・ 
つまるところ落ち着きがない.
日本人もヨーロッパ人に比べるといいかげん落ち着きがなくせわしなくマナーがない
国民だなと思ってはいたが上はいるものである.
経済成長の真っ最中にある中国は
 「日本の5倍のスピードで追いついている,技術開発している」というがこれはウソだ.
人数が多いだけだ.
 朝はあまり早くから働かないし(ヨーロッパ人は朝早いぞ!朝5時にはドイツ人は動き出しているぞ),
 昼休みは2時間ぐらいあるし,
 5時になったらとっとと帰るし,
 夜中まで露天の店で遊びほうけているし,
 春節祭は,2-3週間休むらしいし,
 転職は当たり前らしいし,
 出張もポロシャツでOKやんけ!
 接待は作業服やんけ!
結構楽しんでるやないか!自由やんか!?
 (政治的には色々あるそうですが・・)
ひょっとしたら一番貧乏くじを引いて,がんじがらまっているのはどこぞの島国だけかな?

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未完のフーガの後の静寂は? [静けさ]

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その日のプログラムは完璧であった.
前半のひと組は,バッハ晩年の作品「音楽の捧げもの」BWV1079から重厚な6声のリチェルカーレに連続してバッハ若き日の作品パルティータ「喜び迎えん,慈しみ深きイエスよ」BWV768を配した.同じく前半のもうひと組は鏡のような構成で,同じくバッハ晩年の「フーガの技法」から未完の四重フーガBWV1080-19に,失明したバッハが友人に口述筆記させた,いわばほんとうの絶筆であるコラール「汝の御座の前にわれはいま進み出で」BWV668を配した.
いうまでもなく未完のフーガの最後の音符のあとに続く深遠で崇高な静寂を感じたのち,オマージュとでもいうべき穏やかなコラールでバッハの終焉に思いをはせようとの意図であろう.国立音大の礒山先生によっても親切に事前に同様な解説がなされていた.
しかし,フーガの技法の終音の直後にたったひとり拍手をしたバカがいたのである.
演奏者への間をおかない拍手による賛辞は,この日最後のプログラムであるパッサカリア ハ短調BWV582で用意されていたにもかかわらず.

いまはなき盲目のオルガニスト,ヘルムート・ヴァルヒャの演奏を推奨します.



クヴァンツの無伴奏小品集 [静けさ]

あたりのCDである.
とても静かな録音.
クヴァンツの無伴奏小品を納めたCDであるが,小品の1曲1曲が珠玉のように美しく静かである.
バスリコーダーは,穏やかな人の声のように優しく品がある.
パイプオルガンの音にも似て,暖かい.
バッハの無伴奏フルートソナタの原型のような感じである.
詳しくは知らないが,バッハもクヴァンツの演奏を聴いたであろう.
クヴァンツはフリードリヒ大王のフルート教師であったから.

牧丘町民文化ホールで録音されたらしいが,ヨーロッパの教会のように響きが美しい.
心和む1枚,お薦めである.

Fantasier og Capricier af Quanz クヴァンツの無伴奏小品集
花岡和生(東京芸術大学古楽器科講師)
花岡さんは,リコーダ教本も多く書いているし,伴奏付CDも多く出しておられます.



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